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【なぜ「木綿(もめん)」なのか?】

2015年06月09日

 昨年(2017)、毎年恒例の中国旅行で海南島に行った。その際、海南島の三亜にある黎族(れいぞく)・苗族のテーマパーク「檳榔(びんろう)谷民族村」の展示物コーナを訪れた。入口では民族衣装に身を包んだ体形のいいミニスカートのお嬢さんたちが来客の対応をしていた。私たちはそこで担当の現地ガイドの中国語の説明を、ツアーガイドが翻訳するのを聞きながら展示回廊を見てまわった。樹液に猛毒があってそれを矢に塗って使うという樹木(Moraceae:クワ科)の興味ある説明のあと、その先には90歳だという老婆が民族衣装を織っていた(図-1)。そこを過ぎたあたりの物品展示場で、奇妙な展示物を見た(図-2)。

-1 民族衣装を織る90歳の老婆

-2 鰹節くらいの大きさの木綿の果実(朔果:中に綿と黒い種が詰まっている)

 ところで読者は衣類の素材である綿のことを、「木綿(もめん)」と書くのを不思議に思われたことはないだろうか。筆者もそれほど気にしていたわけではないが、「木綿を取る植物は、せいぜい人の背丈くらいの草本(そうほん)類なのに・・・」と前から多少不思議に思っていた。ところが海南島にきて初めて「なぜ、木綿なのか?」がわかったように思う。

 現在世界で綿花を取る一般的な植物・“わた”は、学術的にはアオイ科・ワタ属(Gossypium spp.)の多年草らしい。私が理解していたのはこのほうだ。図鑑などによると綿の種子は堅い朔果のなかにあって、成熟するにつれてはじけて、中の綿花が現れる。朔果の内部は隔壁によって数室に分かれていて、それぞれに数個の黒い種子があり、その周りに綿花が密生している。この綿毛は外皮細胞が変形したものである。現在もめん”として利用している綿花は、この綿毛部分なのである。

 それなのに、なんで“木綿”(つまり、木の棉)なのか? 今回、海南島で黎族や苗族の村を再現したこのテーマパーク「檳榔谷民族村」を訪れて初めて“もめん”がまさに“木綿”であるのを知って、興奮した。木綿で織った民族独特の織物の展示物の前に、ちょうど鰹節そっくりの色と形・大きさをした大型のふっくらとした果実(さや?)の一部が開いていて、その内側に真っ白な綿花が詰まったものが展示されていた(図-2)。その綿花の内側の奥には黒っぽい種子がある。聞いてみると“木綿”の綿花だという。その背後には橙赤色に輝く花が一杯咲いた樹木の写真があり、「綿の木の花」と書いてある(図-3)。

-3 木綿の花

 それらを見たとき私は“もめん”を“木綿”と書く意味が分かった。おそらくこの名称は、中国―それも海南島など南方―から来たのだろうと思う。

 帰国後調べてみると、キワタノキ(木綿の木)あるいは単にキワタ(木綿)は、学名をBombax ceiba というパンヤ科・ボンバックス属の落葉高木だとある。バスの車窓から「棉の木です」と教えられた高木を見ると、真夏のため花こそ咲いてはいないが、高さ15~20mほどの大木で、鰹節くらいのまだ青い実がなっており、ほかの木々よりやや高くて、容易に識別できる。春先(2月)には、椿の花を一回り大きくした径10cmくらいの橙赤色の花が咲き(図-3)、樹木全体が輝く美しさだという。現在、世界的に“綿花”として栽培されている草本類とは全く別種で、インドや豪州に多い樹木らしい。日本に、室町~桃山時代(注) に中国経由で伝わってきた綿花はこの“キワタノキ”つまり“木綿の木”からとった綿の方で、このため“木綿(もめん)”と書いたのだ。中国語では“ムミェン(mumian)”と発音するから、日本ではそれが訛って‟もめん”と呼ぶようになったのだろう。海南島を訪れて“もめん”を“木綿”と書く意味が初めて理解できた。

注: 広く普及したのは江戸時代からのようで、それ以前は、麻布が一般的であったらしい(平凡社:世界大百科事典)。

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