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【王陽明に学ぶ】

2015年06月09日

 今まで私は、非常勤講師として早稲田大学の理工学部で「ジオマティックス」を26年、中央大学で「地形工学」を4年間講じてきた。そのほか、今でも業界で若い人たちのためのイブニング・セミナー等でも時々講ずる。その内容は違っても、雑談の時間を設けては、自分の考えや人生論を語ることが多い。若い人にとって、個々の知識も大切だが、「どういう考え方があるか」とか「どういう生き方があるのか」など、他人の考えを知ることも大切だと思うからだ。

 ほとんど毎年、好きなグループで中国旅行をしている。2013年8月6日~12日には、カルスト地形と少数民族の宝庫・貴州省を訪れた。その時、当初のスケジュールにはなかったが、貴州省というと、明代の王陽明(1472‐1528)が流刑の憂き目にあって、州都・貴陽市の西北40㎞のところにある龍場の小さい洞窟(今は陽明洞と呼ばれている)に3年間こもって、悟り(大悟)を開いたところである。龍場は私たちの旅行計画ルートからだいぶ外れるため訪れることはできなかったが、王陽明が諸生の教授に使った書院―陽明祠―は貴陽市の扶風山のふもとで近いため、無理にスケジュールに割り込ませてもらった。

陽明祠に入ると、その入口の近くに次のような記念碑が建っている(図-1)。

畫舫西湖載酒行    畫舫西湖酒行を載せ

   遊覧船が酒宴の客を載せて西湖に浮かんでいる

 蔌花風渡管弦聲    蔌花(そくか)風渡りて管弦の聲

   風が吹き渡り 花がはらりと落ち、管弦の楽の音が響き渡る

 餘情未盡歸來晩    餘情未だ盡きず 歸來の晩 

   故郷の越に帰ってきた夜、今までの様々な思いが

果てしなく込み上げてくる 

 楊柳池産月又生    楊柳池に産じ、月又生ず

   楊柳が池のほとりに生えていて、月がまたあがってくる 

(今村遼平 訳)

図-1 陽明祠の記念碑

 王陽明は37~38歳、人種も違う亜熱帯の龍場に流されて、そこで

 苦労の多い日々を過ごした後、39歳のとき江西省吉案に移り、40歳になってようやく首都に呼び戻され、42歳の2月、郷里の越に帰ることができた。おそらくその時、安らかな気持ちで西湖に遊んでこの詩を作ったのであろう。その時の詩がこの陽明祠にあるのは、後世の人が貴州省の龍場での感慨を忖度して、ゆかりの陽明祠の中庭に石碑として残したのであろう。

 王陽明は、書聖と言われた王羲之(307?‐365?)の後裔に当る。《陽明学》を確立した明代最大の思想家で、日本にも大きな影響を与えた。本業の高級官僚としては、父親(陸軍大臣にまでなった)に似て軍事に秀でた人で、多くの戦果をあげて大臣にまでなっている。私が王陽明にこだわったのは、彼の2冊の『伝習録』を読み、その思想に傾倒して2007年に出した『中国思想史』(自費出版)にかなり力を入れて書いた人物だったからでもある。

 今回、紀行文の一部に<陽明祠>のことを書こうと思ってこの『中国思想史』を開いてみて改めて驚いた。王陽明の思想を知る前から学生たちや受講者に語ってきた自分の考えや人生論のいくつかは、王陽明が弟子たちに力説してきたことと極めて類似していたからである。

図-2 王陽明の座像画

図-3 王陽明の座像

 『中国思想史』を書く際、私は考えに考えて王陽明の思想を何とか1枚の図(図-4)にまとめようと努めた。この中でとくに自分の考えと似ている、王陽明の言葉でいえば《立志》と《事上磨錬》・《知行合一》という考え方を、私はこれまで何かにつけてかなり前から学生たちに主張してきた。王陽明の思想を知った今では、自分の考えを先人の威力(?)を借りて主張しているとも言えよう。ここではまず、その事例を、紙面の許す範囲で示してみたい。

図―4 王陽明の思想(今村:2007に加筆)

1)《立志》―目標を持とう―

 私は学生や新入社員あるいは若い業界のメンバーに講義をする際、「若いころは漠としていてもいいから、夢に向かって、遠い目標近い目標…と、常に目標を持って毎日を過ごすことが大切です。目標は、一つ達成したら次ぎ、そしてまた次ぎとダイナミックに変えていけばよい。目標のない日々は、<行き先を書いてない電車>に乗っているようなもの……」と言っては、自分の目標の大切さを唱えてきた。

 《立志》は陽明学では重要な意義をもっている。王陽明は貴州省の龍場で大悟したのち、おそらく今の陽明祠その他で、諸生の教授に際して、四カ条の教目を示した。その第一条がこの《立志》で、それは次のように述べられている。

志(こころざし)がなければ、この世では何事も成し遂げることはできない。技芸はいろいろあるが、みな志が本(もと)となって始めて成し遂げられるものである。今の人々が怠け心がついて歳月をむなしく費やし、何も成し遂げられないのは、みな志がないからである。だから、志をたてて、聖人になろうと思えば聖人になれる。賢人になろうと思えば賢人になれる。志がないのは、舵(かじ)のない船、轡(くつわ)のない馬のように、どこへ行ってしまうか分からない(王陽明:『文集』巻28による)。

私は「目標」と言っているが、王陽明は「志(こころざし)」と呼んでいる。文字こそ違え、意味はほとんど同じだと思う。奇しくも、たとえ方(・・・・)もかなり似ている。私は自分の経験で得た「目標を持とう」というこの主張を、図-5のような図を書いて説明している。ただ、恐らくこのようなことは、古来、多くの人々が若者に言ってきたことだとは思うのだが・・・

図―5 目標のない日常は<行く先表示のない電車>に乗っているようなもの……

2)《事上磨錬》―日常が自分の“ネックレス”を作るモト―

  1995年に出した『報告書の周辺』(日本測量協会)の20章に記した「私の“ネックレス”構想」(いつかこのホームページで詳しく述べてみようと思っている)で私は、「日常の業務の中にこそ“玉”(新しい知見や考え)がある」と主張した。自分の人生の“ネックレス”(人生の節目での成果、ひいては人生における自己実現を私は “ネックレス”と呼んでいる)は、必ず日常業務で得られたそれらの“玉”を糸(自分の思想・哲学・考え)でつなぎ合わせることで生まれるものだ、という主張である。

 似たようなことを王陽明は《事上磨錬》と表現している。彼は、ことに応じて変化する現実生活を常に肯定的にとらえて(この点は荘子的で、北宋の官僚であり詩人でもあった蘇軾(そしょく)(1036―1101)が徹底して実践したことだ)人生を積極的に生きるべきだという考えに到達して、《事上磨錬》―日常の実際の事物にあたって精神を練磨すること、つまり、日常生活そのものが精神練磨なのだという考え―を唱えた。その考えは、恐らく陽明の軍事・官務の多忙な毎日の中から生まれたものであろう。日常の多忙な毎日こそが、精神修養の場であり、《事上磨錬》の実践なのだという主張である。私は精神修業とは限らず、私たちの日常の仕事そのものこそ「自己実現の場」なのだと言う意味にとらえている。このことはあとで述べる《知行合一》と相通じるもので、こういう考えに立つと、行住坐臥何でも修行の場となり得る。私たちは多忙な日常の仕事の中で考え、それらを一つひとつ実践していって生活し、自分の人生を成就させ、その過程で自己実現をさせていくものではないのか。

3)《知行(ちこう)合一(ごういつ)》―「実行」して初めて「知った」と言える―

 《知行合一》は私の好きな言葉の一つだ。「真の《知》とは、《行うこと》であって、行わければ《知った》ことにはならない」というのが、王陽明の持論であった。私は『報告書の書き方』(文章論を含む)の講義の最後には必ず、「これまでお話ししたことは、いわば“理論”です。これをもとに、日常の仕事の中で必ず実践してください。そこで初めて自分のものとなるのです」と述べて、講義を終える。王陽明の思想を知った後は、必ず彼の《知行合一》の用語を借用して、この考えを結ぶ。

 本当の《知》は《行》を通して成立すると言い、王陽明の考える《格物致知(かくぶつちち)》(先天的道徳知としての自己の良知を充分に発揮し(知良知)、それによって物事に正しく処する(格物)ことをめざすもので、朱子とは考えが違う)の《致(ち)知(ち)》というのは、知識が実行された段階のことを言うのである。彼はこのことを『伝習録』の中で、次のように述べている。

知ることは行うことの初めであり、行うことは知ることの完成であって、それは一つのことである。聖人の学問にあっては、修業はただ一つあるのみで、知ることと行うことの二つをするのではない(『伝習録』・陸原静所録による)。

別に、「聖人の学問云々……」ではなくとも、我々凡人の学業や行為も同じだと私は思っている。別のところで次のようにも言っている。

知って行わないものは決してなく、もし知って行わないなら、それはまだよく知らないのである(強調は筆者)。(中略)聖人が人を教えるには、必ずこのように知と行の一体となること[知と行の統一]を求めるのであって、そこに至ってこそ初めて「知った」と言うことができる。そうでなければ、何も知ったことにはならないのである。

私は学生や同業者の講習会などで、必ず最後にこの王陽明の言葉を借用して、《知行合一》の大切さを主張する。講習会での内容は全て“知”の範疇であって、それら学んだことが仕事の現場や日常生活で活かされて初めて「知った」と言えると思うからだ。

私がここで、王陽明の《立志》と《事上磨錬》・《知行合一》などを例に出して本当に述べたかったのは、その内容自体もさることながら私たち凡人でもとことん考え抜くと、案外思想家や偉人が考えたことに近いレベルに到達できることがあるということである。逆にいうと、「これはいい考えに至った」と狂喜したことも、既に過去に誰かが主張していたという事実をあとで発見することも多いもの。ここで記したこともそうである。だからといって別にそれでがっかりするわけではない。むしろ、心強くさえ思う。私は自分の思想とは、それで充分だと思っているからだ。

参考文献
1)今村遼平:中国思想史 自費出版 pp. 419-433 2007 
2)    :続 報告書の周辺 日本測量協会 pp. 70-88 1998
3)    :報告書の書きかた 日本測量協会 pp.1-72 1995
4)近藤康信:伝習録 新釈漢文大系13 明治書院 pp.1-633 (特に71など) 1961
5)王陽明(岡田武彦 訳):文集 明徳出版 pp.1-224 1993
6)岡田武彦:王陽明小伝 明徳出版 1995
7)安岡正篤:王陽明研究 明徳出版 1960

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